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スープの中の愛情

本心から信じられるの

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本心から信じられるの

再三の願も虚しく、会津は追い詰められてゆく。
容保の首を差し出せば、恭順を認めてもよいと返答はあったが、主君第一の会津武士がそれを受け入れるはずもない。
遺恨を持つ長州は、初めから会津を許す気はないのだと、藩士たちは憤った。
何度も握りつぶされる嘆願書を前に、会津藩重役は、なぜもっと早くお役目を返上しなかったのかと、ほぞをかんだ。

「帝が御崩御されたときに、会津は幕府にどういわれても国元へ帰るべきだった。」
「われらは、幕府の捨て石にされたのだ。」

京都守護職としての勤めは全て、幕府に命じられての激務であった。
どの藩も頑なに固辞したのを、強引に押し付けられた役職だった。
命を懸けて何年も不逞浪士の取り締まりに追われ苦労した。
全藩揚げてのお役目に、出費はかさみ会津の国許は疲弊し、農民は高い年貢に喘いだ。
しかも追い打ちを掛けるように若松で大火が起こり、子供も大人も質素倹約に励むしかなかった。

京の町の会津藩士は、粗末な綿の着物に握り飯の括り弁当で、苦渋に耐えて幕府に忠誠をつくし、孝明天皇からの厚い信任を得た。
それなのに、京都守護職を固辞しつづけた会津を執拗に任命し続けた将軍家は許されて、会津は許されないという。
保身に走る慶喜は無理難題を出し続け、最後には泣き落としのようなことさえして、容保を傍に置き続けたが、そこには一切触れなかった。
一途で疑うことを知らない純朴な主従には、慶喜の裏切りとも見える仕打ちが理解できなかった。

「なぜだ!」
「なぜ、この土壇場で幕府は会津を裏切るのだ!?これではまるで蜥蜴の尾でねぇか。」
「我らのこれまでの忠誠は何だったのだ?命がけで幕府と帝をお守りしてきた六年間は!」
「なじょして、会津が逆賊の汚名を着せられねばなんねぇんだ?」

報告を受けた藩士達には、納得が行かなかった。
怒りと悲しみに震えながら、江戸屋敷にたどり着いた藩士たちは幕府の仕打ちに慟哭した。
やりきれなさがはけ口を求めて、怒涛のように渦巻いていた。
慶喜がその名を口にしたばかりに、何の落ち度もない聡明な若い家老は、容保が大阪城から逃亡した責任を一人で被り、何も弁解することなく潔く腹を切った。
今後の会津藩にとっては、なくてはならない大切な人材だった。
容保だけが彼を救えたが、藩兵を見捨てた容保には、藩士の怒りを一身に背負う家老を救う言葉がなかった。

傷ついた藩士たちを広間に集め、やっと徳川に見切りをつけた容保は、家臣に頭を下げている。
藩主が家臣に謝罪するのは異例なことではあったが、容保にとっては家臣を裏切ってまで尽くした誠が、無下に踏みにじられた思いであった。
とつとつと容保は語った。

「……余は、会津松平家に入って以来、御家訓を胸に励んできた。大樹公に言われるまま東帰したが、これは愚かな間違いであった。闘うそなたたちを京に残して、逃げ帰ったのは余の不明である。余が本心から信じられるのは、もはやそなたたちしかおらぬ。余が信じられるのは会津だけじゃ。朝廷に恭順が許されぬこの上は、会津に戻り潔白を証明する道を探ろうと思う……。」

家臣に下げた蒼白の頬に、許しを乞う涙が溢れた。
容保の胸中を知り、藩士たちは天を仰ぎ泣いた。幕府と朝廷に、どれほど誠を尽くしてきたか、みな知っていた。
誰もみな、京で傷つき満身創痍だった。すすり泣く声が広間に響いた。
容保の言葉を家老が継いだ。

「既に大政を奉還した以上、幕府はただの一藩である。殿も、もはや御家訓に縛られる必要はない。我らはこれより会津へ帰る。逆賊の汚名は、どうあっても晴らさねばならぬ。」

期せずして声が上がる。

「帰りましょう、殿!」
「我らにはもはや会津しかない。」
「われらが故郷へ……」
「会津へ……!帰んべ!」

会津主従はここにきて、一つになった。
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